紙丑堂の業務日誌

ぼんやりしがち

絵か文章か みたいな話

拍手ありがとうございます!
ホントに! 嬉しい!
きょうはエルデ日記じゃなくてすみません。ただのメモです。
一応お断りしておくと、とくになにかきっかけがあったわけじゃなく、普段からなんとなく考えていることなので、何かホットなトピックとか特定の個人の発言に対して物申したいとか、そういうんじゃないです。

「イラスト描けたら小説書いてない」とか、その逆とかの発言で揉めるケースを二次ではたまに耳にするんだけど(今回何かを見たというわけじゃないですよ念のため)、揉めるのはたぶん前提を雑に扱ってるからなんじゃないか。
「絵だから瞬間、文章だからお話」みたいなある種のレッテル貼りとか、あるいは文章にかぎっても「一瞬を切り取るのは短編、起伏あるストーリーは長編」みたいな分類はあんまり効果的な問いの建て方でないようにおもえる。


なんかよくわかんない文章をたまーに書いてる身として、自分がやってることを振り返ってみると、一瞬の情景のためにそれなりの分量の「物語」が必要になる場合もあれば、どんなに長くてもただのイメージの羅列を書きたかっただけってケースもざらにあるし。
文章だからって「物語」が書きたいわけでもないし。
ただ言葉つかって遊んでたいみたいな欲望も、もちろんあるし。
何かを伝えようとは思っていない節もある(もちろん伝わらないと意味がないこともあるので、そのへんはバランスなんだけど)。

私は絵を描かないから、絵の特性とか、絵という表現の得手不得手については知らないのだけれど、これをやるには絵の方が向いてるかなとかマンガのがいいかなと思うことは確かにたまにある。
でも、それを別の仕方でやってみても面白い(たぶん想定とは違うものができるはず)と思うし、なんていうんだろう、言葉は何かを語るためのものであるみたいな考え方はちょっと早計なんじゃないかというか、文章はそんな限定的なもんでもないんじゃないの? とおもうわけです。そんでもって、きっとそれは絵でも同じでしょう、と。
だから目的も技術もごっちゃにしたり、限定してしまったりな状態で話をするのは勿体ないというか、やりたいことと用いる方法についてもちっと厳密に考えてみるのが先であって、未整理な状態でそれ言ってもあんま効果がないのかなーとはおもうんですよね。

うーーーーん、うまく整理できなかったな。
まあいい。
日々のメモでした。

あ、ちなみにぽいぴくに『ギャング・オブ・ロンドン』二次、クッソ短い「一瞬」を上げました。よかったら見てって。
リハビリするやで~~~。

エルデは新キャラ作るの楽しくて二周目が進まないです(拍手する)