紙丑堂の業務日誌

ぼんやりしがち

2022年、面白かった本(新刊中心に)

面白かった本についてのメモです。
基本的に読んだやつぜんぶ面白かったんだけど、これは書き残しておきたいなというやつだけ。だからベストとも違うかんじです。

■小説

フィクションもノンフィクションも収録されているのだけど、それをひっくるめてフィクションに分類してもいいのかなと思ったのでこっち。
ものすごくウォーターズの「作品」で、就寝前読書としては笑いすぎて眠れなくなって難儀した。

今年ベスト。

第三北広間に月が昇ったとき、僕は第九玄関に行った。三つの潮が合流するのを見るためだ。これは八年に一度しか起こらない。

この書き出しに惹かれて購入したのがすべてだった。大傑作だと思う。
ここにはない建物、幻想の場所での酩酊という意味で『時間のないホテル』(ワイルズ)や『鏡のなかの鏡』(エンデ)、「悪い土地」(メトカーフ、『死者の饗宴』収録)などとも響き合う気がする。好きそうな人はぜひ。

本書についてはこちらのエントリに詳しい。マーーーージで面白かった。

あんまり面白かったので読後の興奮を維持したまま「ちょっと、これが五大文学賞のどれか獲ってないのっておかしない!?」と恋人に息巻いたらすごいそっけなく「落ち着け」と一蹴されてチェッてなったんですが、そうなってしまうのも已むなし(自己弁護)の大傑作だとおもう。
ぼさっと読んでも怖く、解きほぐすように読んでも怖く、さらには「怪談についての怪談」としての完成度が頭抜けているのが圧巻。技術点も最高レベルで高く、それゆえ最後には普遍的な「記録すること/再生すること(書く/読む、見る/見られる等々)」の恐怖についての話になっているのがめちゃスゴ。読んでくれ。

記憶の内側を這う指のような語りを体験できる。押さないでほしいツボも、忘れていた消えかけの痕も、やさしくなぞってくれる。
正しいとまちがいのあいだ、すきとにくいのあいだ、こわいとたのしいのあいだ。境界線がとけてみえなくなる原初の感情を、こい瀬伊音はいつもそっと肯定してくれるように思う。恋愛感情をメインに据えた作品がめちゃめちゃにがて(上手に理解できない)な私が、腹の底から“共感”できた短編集だった。

サークル「カモガワ遊水池」の文フリ会場限定無料ペーパーで読んだ。いやもうめちゃめちゃ良くて……。延々と続く夜と闇の冷たいビジョンの美しさが心地よい。商業出版が進んでいるとのことだが、こちらの翻訳でも読んでみたいなと思わせる硬質で理知的な訳文も非常に良かった。

■詩歌

待 っ て た 。
ビットとデシベル』をすり切れるくらい読んでいる人は多いとおもう。そんなしげるファン待望の新作。めちゃめちゃ良かったね……。
というわけでやっぱりヘビロテしていました。またゲームのコントローラーのお隣が定位置。
私のすきなやつを3つだけ。

いまからパントマイムやります――鳥です、鳥の目をやりました、わかりにくかったですか

映画っていうのか、なんでこんな暗いところでみんな見てるんだ 窓開けろよ 不健康だろ

ききたいなら言うがそこは鼻だ

毒をもつ植物をテーマにした詩がたーくさん載っている。素敵なイラストと共に。
それだけでも美しいのに、どのページにも聞いたことのないような言葉の連なりがおどっている。
毎日、(たいていは起きぬけに)「えい!」とページをめくって、まるでタロットの一枚引きみたいにして愉しんでいる。しかしどうも開き癖があるらしく、すでに3回くらいヒガンバナNo.31のページを開いている。とんでもない詩だ。なんにもわかんない。けど、綺麗だなー、綺麗ってときどき悲しいなーって思いながら読んでいる。

この歌の言葉は私たちの側と、私たちのしらない側と、その両方を行ったり来たりしていて、チカチカ瞬いているようにおもう。歌はすべて外を向いていて、知らない死や知らない希望に満ちている。私たちも、死と生の両方を行ったり来たりしている。その様子は遠くから眺めればきっとチカチカ瞬いていて、だからたぶんこの歌集は、私たちと言葉たちとの違う地層/時層でのチカチカが反射しあってキラキラ輝いているに違いない。この本の表紙みたいに、かわいいキラキラ。
そんな気持ちになった。そんな歌集ははじめてだった。大切にしたい。
(あ、あと伊藤なむあひとの共著『aneimo』もとてもチャーミングでかわいい本だった)
好きなやつ、みっつ。

ドーナツあげる。頭に載せて生前やり直しなよと天使言いけり

あったかいパンが入っていた袋曇っていて曇りごと捨てる

(いま思ったんですけど、やっぱ最後のやつは内緒にしときます)(会ったとき訊いてくれたらこっそり教えます)

■ノンフィクション

ジプシーというか放浪する民について知りたくて色々読んでいた中で出会った本……なんだけど。
いかにおれたちはふんいきで世界をやっているかについて思い知らされた。中の人などいなかったのだな……。2006年の本なので、最新の研究も知りたいなと思うなど。

個人ホームページ全盛期の頃、個人の日記を読むのが好きだった。べつにコメントも残さないのに、なんとなく見に行く日記たち。有名なテキストサイトだけじゃなくて、なんとなく書いている普通のひとたちの普通の文章を読み続けるのが好きだった。そのことを思い出した。

これについてはTwitterでつぶやいたことが(表通りに置いておけるものとしては)すべてなのでそのまま転記する。

いろいろ腹立ったりムカついたりしたのが回り回って全部こっちに向かってきたので、清算すべき事柄と向き合うターンだなとおもってようやくずっと積んでた『当事者は嘘をつく』を徹夜で読んだのだけど、結論から言うと「それな」だった。だからこそ書かれるべき本だった。偉業。
目新しいことというのはなくて、ほぼすべてが覚えのある道筋で(私が読みたいように読んでいる可能性は大いにあるがそのためにあるともいえる)、たどったルートは違えどその当たり前の風景を肯定するためにどれだけ回り道が必要になるか、その軌跡を伴走させてくれた著者の生活を思う。
まああんまこういう場所で感想を述べるたぐいのものではない(と私は思う)し、もしこの本を「勉強」のために読むのであれば、読後のあれこれはせめて黙っておいて、ひとまず自分のなかで発酵させるべきだろう(と私は思う)。いいねや共感のなかで忘れ去られていくために書かれたものではないので。
個人的な話をするなら私は医者や支援から背を向けて『残酷な神が支配する』と会話をすることでなんとかしたが、あの作品の限界(描かれた時代もあるからね)で拗れたりかたくなったりした部分を解きほぐすための道程やその後のあれこれを、本書は肩を叩いてねぎらってくれたような気がした。
(著者がケータイ小説を書いた下りは、私が二次創作をやったことと微妙に重なってかなりしんどくなったもしたけど……)

また、著者がこのツイートに対して「I like this comment」と引用でコメントしてくれたことも、共感とも違う形で同じ時間を生きている今について「そこにあなたはいますね」というコミュニケーションが成立した気がして、勇気づけられた。
いずれ私も、誰かに自分の話を聞いてほしくなるときが来るのかも知れない。(来なくてもいい)そのときに、この本を同時に差し出すことで、私の語る言葉が語り得ない空白に、その「誰か」がほんの少しでも手を伸ばしてくれたら――。夢でしかない。夢物語だ。それでも、そんな夢をもつことを下がり眉の笑顔でゆるしてくれるような、そんなふうな誰かの(わたしの)希望たり得る、強さの結晶のような文章だった。
「私たち」の生活が、善きものであれと願う。願っている。

真っ白な表紙、深紅の帯には「私の話を信じてほしい」という一行だけ、という装幀も、強い意志が感じられて良かった。